押さえておきたいHIP HOPの歴史(創生期)



今回はB-BOYなら知っておきたいHIP HOPの歴史を簡単に箇条書きっぽくして、豆知識感覚でまとめていこうと思う。

とはいえ、HIPHOPが産まれてから数十年が経ち世間ではHIPHOPブーム等とも言われている。

HIPHOPが好きなら最低限の知識がある方がよりこの文化を深く楽しめることは間違いないだろう。

ちなみに後でも書くが、上の画像はHIPHOPの歴史で一番最初のフライヤーである

 

・1970年代初期にサウスブロンクスのアフロ・アメリカン達によって作られた

・HIPHOPはDJ・RAP・ブレイクダンス・グラフィティの4大要素で構成されている(これを提唱したのはアフリカ・バンバータといわれており、さらにその後に知識を加えた、そのまたさらに後にKRS-ONEがビートボックス、言語、ファッション、起業精神を付け加えたりもしている)

・HIPHOPの名付け親はアフリカ・バンバータで、元々はMCがスキャットの中で使っていた一句で、バンバータが分類化されていたヒップホップ文化を、1つにまとめる為に、この言葉を使った。1974年の11月にこの名前がつけられたとのことで、11月をHip Hop History Monthとして毎年祝っている

・DJクール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュの3人のDJはHIPHOPを語る上で外せない3人

・HIPHOPの誕生日は1973年8月11日と言われており、理由はDJ クール・ハークが妹の誕生日を兼ねたパーティーを開いた(記事の一番上の画像がその時のフライヤー)、そのパーティーがHIPHOPの始まりとされているから

・DJクール・ハークはジャマイカ出身だったためレゲエのサウンドシステムの文化や知識をHIPHOPに取り入れた

・DJクール・ハークが同じ曲の間奏部分(ブレイクパート)を繋ぐ2枚使いをターンテーブルで初めて行った

DJ Kool Herc

 

・曲の間奏部分であるBREAKパートで踊る人をB-BOYと呼ぶようになり、そのダンスをブレイクダンスと呼ぶようになった

・パーティーの盛り上げ役としてMCが存在した

・RAP自体はアフロアフリカンの母親を上手に罵しり合い上手く返せなくなった方が負けという遊び「ダズンズ」が元になっているとも言われている

・ターンテーブルでTechnicsが使われているのは当時のレコードプレイヤーの中で停止時から再生時の最高速度に達するのが一番速かったためDJプレイに最適だったから

・グランドマスター・フラッシュが世の中にスクラッチを広めた(スクラッチを発明したのは親戚のグランドウィザード・セオドア)

・グランドマスター・フラッシュにDJを教えたのはクール・ハーク

・Grandmaster Flash and the Furious Fiveで1979 年「Superrappin’」をリリース、その後も何枚もラップレコーをリリースするが特に「The Message」はNYのゲットーでの生活の苦しさをラップにし、当時のNYとその周辺だけで約50万枚売れたとも言われている



・ アフリカ・バンバータはサウスブロンクスの平和を守るためのギャングである「ブラックスペード」に所属していた

・アフリカ・バンバータはクール・ハークのDJスタイルを学び、周りの仲間を非暴力団体ズールー・ネイションに改心させていく

・アフリカ・バンバータは「ヒッフホップ文化の祖父」「ヒップホップ文化の神」もしくは「エレクトロファンクの父」などと言われている

・エレクトロ・ファンクの先駆けとしても有名だったアフリカ・バンバータだったが「UNITY」という曲で当時国民に爆発的人気だったジェイムス・ブラウンとタッグを組みHIPHOPの認識を向上させた

 

 

・ラップの曲として初めて商業的成功を収めたのは、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」という曲でランキングのTop40に入るが、シュガーヒル・ギャングは元々ストリートのラッパーではなく、これからラップが流行ると目をつけたR&Bシンガーでもあり企業家でもあるシルビア・ロビンソンが商業目的で寄せ集めた3人で作ったグループだったためサウスブロンクスのストリートのラッパーからはよく思われてない

 

 

ほぼほぼDJ クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータの話になってしまったが、この3人は間違いなくKING OF OGなので押さえておこう。

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