レジェンド・ラッパーの明日使える豆知識「JAY-Z」編

Greatest Hits



このコーナーは基本、箇条書きでまとめてあり、またベシャリで使えそうなものを中心に集めていますので、ここでHIPHOP IQを高めていきましょう!!

今回は世界で最もHIPHOP DREAMを叶えた男と言っていいであろう「Jay-Z」についてまとめてみたのでどうぞ!!!


・本名:ショーン・コーリー・カーター

・生年月日:1969年 12月4日

・身長:187 cm

・出身:ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区にあるマーシー団地

・ラップを始めたきっかけ:同じ団地に住んでいたラッパー、ハーズジャズメイカ&マイクゴンガーの影響

・尊敬しているラッパー:BIG DADDY KANE

・MCネームの由来:「いつもお洒落に着飾っていて、華やか(jazzy)」と友人に言われていたことから「Jay-Z」に、しかし2013年7月にハイフンを抜いた「Jay Z」にマイナーチェンジしている

・読み方は「ジェイ・ジー」ではなく「ジェイ・ズィー」が正しいらしい

・最も使われる愛称のジガ(Jigga)。意味はJay-ZのJと差別用語のニガーを足したもの

・ビギーと出身が同じで自らを「BROOKLYN FINEST(最高級ブルックリン)」と言っていてビギーはビガ(Bigga)と言っている

・嫁はビヨンセ (2012年に娘のブルー・アイビーを授かる)

・推定資産は500億円

・。MTVが選ぶ「世界的にもっとも偉大な輝きが衰えないラッパー」「世界的にもっとも頂点に君臨するラッパー」

・過去の経営:レーベル「Roc-A-Fella Records」アパレル「Roc-A-Wear」プロバスケチーム「BROOKLYN NETS

・現在の経営:レーベル「Roc Nation」スポーツ業界「Roc Nation Sports」定額制音楽配信サービス「Tidal」ナイトクラブチェーン「40/40

ちなみにナイトクラブ「40/40」の内装

 

「ストーリー」

・幼少期は生活保護を受け育ち、11歳で父親と生き別れる

・単身でワシントンに行きBIG DADDY KANEとツアーを回るが、成功せずにブルックリンに戻りハスラー生活

・26歳の時に至近距離から通り魔に拳銃で銃撃されたことを機に再度ラッパーを目指す。ちなみに3年間の刑務所暮らしと3度に渡る銃撃戦を経験しているらしい

・遊び仲間のクラーク・ケントの紹介でデイモン・ダッシュと知り合い仲良くなったことがきっかけとなり一緒に1996年に自主レーベル「Roc-A-Fella Records」を設立。なんとその頃、同時に「Def Jam Recordings」のCEOも兼ねていた。2008年にはDEF JAMのCEOを自ら退任している

・1996 年自主レーベル「Roc-A-Fella Records」から出した「Reasonable Doubt」が全米売上151.4万枚を記録

・2003年11月に出したアルバム『ザ・ブラック・アルバム』の発表と共に引退を表明

・しかしその後もリンキン・パークなどのフィーチャリングでの活動は継続

・2006年にインタビューで復帰を認めアルバム『Kingdom Come』で復活

・近年は単独ライブを年間200本をこなしている




ここからはNASとのBEEF

Jay-Zの1996 年に出した1st ALBUM「Reasonable Doubt」への参加をNASに依頼したがこれをNASは拒否したことがきっかけ。

しかし、Jay Zも「Dead Presidents」にてNasの「The World is Yours」のラインを勝手にサンプリングしていたりする。

そんなことがありつつJay-Zが2001年6月に開催されたHOT 97主催のイベント「Summer Jam」のライブで突如NASへのDIS曲「Takeover」を披露。

「Had a spark when you started but now you’re just garbage
(出始めのころは勢いもあったけど今じゃゴミ同然)
So yeah I sampled your voice, you was using it wrong
(そうさ、俺はお前の声をサンプルしたさ、お前のやり方が正しくなかったから)
You made it a hot line, I made it a hot song
(お前はホットなラインを生んだかもしれないが、俺の場合は曲全体がホットだった)
Use your brain! You said you been in this ten
(頭使えよ、お前は10年間このゲームをやってると言った)
I’ve been in it five – Smarten up Nas
(俺は5年だ、賢くなれよナズ)
Four albums in ten years homie? I can divide
(10年間に4枚のアルバムだって?割ってみるか)
That’s one every let’s say two, two of them shits was due
(そうだな…2枚のうち1枚、計2枚はまあまあの出来だった)
One was –NAHHH, the other was “Illmatic”
(1枚目は…いや、そしてもう1枚が“イルマティック”)
That’s one hot album every ten years average
(てことは、平均で10年に1枚しかホットなアルバムが出せないってことだ)
And that’s so –LAAAAAAAME! Homie switch up your flow
(そりゃあ情けない話だぜ、そのフロウを変えるべきだな)

引用 http://elleryqueen.blog19.fc2.com/blog-entry-7.html

 

それに対しNASの反撃

Eric B. & Rakimの「Paid InFull」のトラックを使い「Stillmatic」というフリースタイルを録音。

Jay-Zの「I.Z.Z.O.」という曲のHookをサンプリングし、「H to the OMO(ホモ野郎)」というパンチラインがある。

このBEEFが大ごとにならないようにNasは、「Stillmatic」をアルバムには入れなかった(「Stillmatic」という曲は収録されているが、まったく違う曲)が、Jay-Zはアルバム「The Blueprint」にリリックを書き直し収録した。

これに対抗したNasは、Jay-Z(ジェイ・ジー)へのdiss曲「Ether」を発表し、この曲をアルバムに収録した。

和訳が知りたい方は⇒https://www36.atwiki.jp/gachmuch/pages/601.html

 

この曲に対しすぐさまJay-Zが反応し、「Supa Ugly」というシングル曲で反撃。

この曲はNasのアルバム「Stillmatic」に収録されている「Got Ur Self A…」とDr. Dre「Bad Intentions」のトラックが使われていて、リリックでNasの娘の母親と関係を持ったことを匂わせる表現があり、Jay-Zも自らHip Hopのbeefとしては適切でなかったと後にこの曲をお蔵入りにした。

その後、ラジオ番組「HOT97」にて、JAY-Z「Supa Ugly」とNas「Ether」の、どちらが良かったかをリスナーに投票させ、「52対48」でNasが僅差で勝利。

そのままBEEFは終わりに思えたが、どちらも次のアルバムにDIS曲を収録。

Jay-Zは「Some People Hate」を アルバム「The Blueprint 2」に

Nasは「Last Real Nigga Alive」をアルバム「God’s Son」に収録した。

一向にBEEFは収まらないかのようになっていた、、、、、

そんな中、2005年10月27日、ニュージャージー州イースト・ラザフォードのコンチネンタル・エアラインズ・アリーナにて行なわれたチャリティーコンサートにて、Jay-Zが「俺に刃向かうラッパーたちを、このステージ上で攻撃する」と宣言。

しかし、ライブが終盤。

突如Jay-Zが「宣戦布告よりも大事なことがある。俺は行くぜ、エスコ(ナズの愛称)! 俺たちの伝説は終わらない!」と言い出し、Nasをステージに呼び上げ法要したのである。

Nasは「多くの奴らが金儲けのためにひどいことをやっている。俺達は互いに助け合ってイーストコーストを救うんだ」と発言。

その後、Nasは「DEF JAM」に移籍。

Nasも和解の理由:Jay-Zが母親に「落ち着いて、やめてほしい」と言われたとラジオで話しているのを聞き、お互いに家族を巻き込んだ中傷もあったり、お互いの母親がその曲を聞いていたりしてエスカレートしすぎたと悟った。

2PacとBiggieがいなくなり、時代についていけるラッパーがほぼいなくなっていた。

そんな戦場に立っているのがJay-Zと自分しかいない状況で、真の戦士はどうするべきか?戦い続けるか、手を組むか。を考えたという。

 

1996年のアルバムがきっかけとなり約20年続いたこのBEEFは2015年に幕を閉じ現在は仲良くなっている。

そんなことが分かるJay-ZとNasのインタビューが和訳ありであったので最後に載せておこう

 

1st ALBUM

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